家の近所とは言え、アパートを借りて一人暮らしをしようと思った出来事を思い出した。

 高校生の頃、尚昌が自室に訪れたことがある。梅雨時で外では絶えず雨が降り続いていた。

 尚昌のことが昔から苦手だったのは単に自分と真逆なのもあるのだが、今思えば本当は羨ましかったのかもしれないと思う。

 その時はまだ、そんな事実に気付きもしなかったので、当然尚昌が部屋に押しかけてもどうやって追い出そうかということばかり考えていた。

 尚昌は思春期真っただ中の清和の部屋を眺めて、やたらとベッドの下やら机の隅やらを見回して言った。

「なんだ、お前エロ本の一つも持ってないのか」

 それを言われた途端、頭の中がかっと赤く染まり、気が付くと出て行ってと大声を出した。

「なんだよ、怒るなよ。悪かったって。なんならおじさんが手ほどきを教えてやろうか。お前、そういうことに疎そうだもんな」

 にやにやといやらしい笑みを貼り付けながら、尚昌が清和のズボンに手を掛けようとしてくる。

「や、やだ。やめっ」

 尚昌の大きな手が自身に触れてきた瞬間、体に恐怖や嫌悪とは違った何かが沸き起こってくるのを感じて、女のような高い声を上げて身を捩った。その途端、尚昌のからかい混じりの表情が引っ込み、一瞬、本当に一瞬だが、瞳に炎が灯ったような気がした。

 だが、それは気のせいだったのかもしれないと、今なら思う。尚昌の欲望の先に自分はいない。いるはずがないのだ。

「悪かった。ちょっとからかい過ぎたな。じゃあ、俺はもう帰る。貴美子さんによろしくな」

 それだけ言うと、尚昌は軽く手を上げて出て行った。それだけだ。出て行く際の尚昌の表情はよく覚えていないが、特に何も不自然なところはなかったように思う。

 だが、そのちょっとした出来事を機に、清和は家を出ることを決めた。尚昌にからかわれたのが悔しかったのが大きい。家を出て大学デビューでもして、尚昌以上に遊びを覚えて見返してやるのだと。

 しかし、現実はそううまくはいかない。大学で気になる女がいたとしても、なかなか接近することさえ叶わないまま、掠め取るように他の男に取られていった。それを繰り返すうちに、それならばいっそどうでもいい女でもいいのではないかと思ったりもしたが、自分の真面目な性格ばかりは変えることはできずに、結局は一度も経験がないままここまできた。

 あの時、尚昌にからかわれて悔しかったのもあるのだが、もしあのまま手を出されていたら、と想像してしまうことはある。当時はそれを想像することさえ嫌だったが、今ならば喜んでその想像に耽ったりできる。しかし、それは想像の域を出ないことを知っている。

 尚昌にキスをされただけで、もっと言えばあんな夢を見るようになっただけで簡単に自覚してしまう気持ちならば、きっと忘れることも容易いだろう。胸の痛みと過去の記憶に蓋をして、母の作った親子丼を咀嚼した。

 最近頻繁に顔を合わせていたが、今日に限っては来る気配がなかった。外では雷鳴が轟いている。

 

 

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