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  その国はヨーロッパのどこかに似た特徴を持ちながらも、それとは異なる有り様をしており、中世の空気を要しながらも同時に現代のような文明である電子機器も持ち合わせている。そんなちぐはぐな国はノストワールと呼ばれ、街にはあらゆる裏組織があり、警察や国家と同等か、もしくはそれ以上にその男たちの方が権力を握っていた。

 中でも、その道の人間でエドウィン・ジョーカーの名前を知らない者はいない。普通であれば裏家業の人間、それも殺しを専門とする者は自身の名を伏せ、呼び名を変えたり正体を隠すものだが、彼は例外だった。

 裏社会による秩序というものが存在するならば、彼そのものがそれであると言える。すなわち、彼がいるからこそ裏社会を牛耳る者たちは暴走することなく、たとえ抗争することがあっても一般市民を巻き込むことはない。もし仮に暴走する者が表れた場合、エドウィンによって確実に粛清されるからだ。

 しかし逆に言えば、エドウィンがいなくなったりすることがあれば、たちまち秩序は乱れ、街どころか国そのものが裏社会によって蹂躙され尽くし、荒れ果ててしまうことだろう。

 その裏社会におけるある種重鎮と言えるエドウィンが、屋敷でカーライルらの報告を聞きながら、厳しい表情で顎に手を当てて思案していた。

「エドウィン様、いかがいたしましょう」

 エドウィンの右腕とも言えるカーライルもまた、普段の冷徹な表情に輪をかけて氷のように冷たく、固い表情をしている。

 エドウィンが座るデスクを挟み、向かい側に立つカーライルの背後には、壁のようにずらりと彼等の部下達が並んでいた。皆一様に黒いスーツを着用していて、いかにもその道のプロという空気を出しているのだが、その胸ポケットにはまるでパーティー衣装のように紅いハンカチを挿している。

 一見してただのお洒落の一貫のようだが、実はこのハンカチこそが彼等の象徴で、粛清には紅、つまり血とは切り離せないことを意味している。同時に、この血の色を見せることで恐怖を植え付け、暴走する者を抑制する意味もあった。

 その紅に目を止めながら、エドウィンは一瞬、今考えるべきではない相手の瞳を思い出しかけ、瞬きをして追い払う。

 意図的に避けるようになった相手は、泣きそうとまでは言わないが、傷付いた表情を素直に出し始めた。初めからあいつではなく、自分にこそ一喜一憂していたかのように思われたのだが、先を越されるかたちであいつに掻っ攫われた。それを惜しむ気持ちがないと言えば嘘になるが、あいつに成り代わっている時のことも記憶している自分だからこそ、単にあいつの気持ちに引きずられているだけのような気がしてならなかった。

 そして何よりも、自分にはきっともう時間は残されていない。

「エドウィン様……?」

 カーライルの怪訝そうな声で我に返り、雑念を振り払うように努めた。

「悪いな。双子の件だったか。調べるまでもないが、厄介な奴らが脱獄したな」

「ええ。彼等を捕らえて牢に戻せというのが依頼ですね」

「だが、今さらな感じだな。脱獄したのはもう半年ぐらい前のことじゃねえのか」

「恐らく脱獄時に彼等と取り引きをした罪人コレクターが、捜査をうまく撹乱していたのでしょう」

「そのコレクターは誰だ」

「それが、その辺がよく分からないんです」

「よく分からない?どういうことだ」

「そもそも、脱獄したのは本当に二人だったかどうかというのもあやふやで、そのコレクターも今は生死も定かではないらしいです」

 カーライルの言葉を聞き、ある可能性を閃きかけたが、そのためには確かめなければならないことがある。

 カーライルに用意させた件の双子の書類に目を通していくと、ふと彼等の出自に目が止まった。

ーーノストワールの忘れられた村、ランドブールにて生まれ育つ。

「ランドブール……」

 ぽつりとその村の名を呟きながら、その村における忌まわしい因習と過去に思いを馳せた。

 双子の名は、レイドールとマンホーク。彼らは二卵性双生児とはいえ、真逆とも言える外見をしていた。いわばエドウィンらと同業者に近しい彼らだったが、秩序を保つべく粛清を行うエドウィンとは違い、彼ら、特に弟のレイドールは血を流すことに喜びを覚えていそうな危険な目をしていた。

 それも、その自分の身の内の凶暴性、狂気とも言えるそれらを本人は自覚していないからこその危うさがあった。

 一方で、兄のマンホークの方は一見して落ち着いているように見えたが、人を殺すことに躊躇いを覚えていないようだった。レイドールとは違って、その危険さを自覚しているようだが、それがなお一層彼が引き返せないところまで来ていることを窺わせる。

 仕事人間のカーライルに似ていると言えば似ているが、カーライルでさえマンホークと比べたら、まだ情があり、まともに見える。

 エドウィンとそんな彼らが会ったのは、彼らが牢に入れられるよりもずっと昔、まだ裏家業を始めて間もない頃だった。

 ある犯罪者をターゲットにした時、物陰に潜みタイミングを測っていたのだが、自分とは別に彼らもその犯罪者に狙いを定めていたことに気が付かなかった。そして、先にエドウィンの存在に気付いたレイドールが攻撃を仕掛けてきた時、辛うじて反射神経を働かせて避けたのだが、それがレイドールの闘争心に火をつけたのか、一戦を繰り広げる羽目になった。

 ほぼ互角に戦っている最中、マンホークが割って入り、肝心のターゲットを逃してしまったことに気が付くと、そこでようやく戦いを止めた。

 レイドールは好戦的にエドウィンを睨みつけながらも矛を収め、その時はそのままマンホークと立ち去った。しかし、それ以来、何かと彼らと鉢合わせることが続き、名前だけ名乗り合ったのだった。

 しかし、彼らの故郷がランドブールだということは無論知らなかった。忘れられた村と言われるのも頷ける。何故なら、あの村は文明に乗り遅れ、未だに古い因習に囚われているからだ。更にどういうことか、認知はされているにも関わらず、地図上にも明記されていない。

 噂で聞き齧ったのだが、どうにも村の村長が地図に明記することを拒んだという話があるが、本当のところは、忌まわしい因習が未だに根強く存在しているあの村を国がないものとして扱いたかったのだろう。臭い物に蓋をするという感覚で。

 そんなことをしたところで、全てなかったことにはできないというのにも関わらず、誰も異を唱える者はいない。

「カーライル」

「はい」

「双子は俺が、直々に……」

 カーライルに指示を飛ばそうとしていた時に、唐突に猛烈な眠気に襲われた。まるで急激に意識を奪われるような感覚は、いつものスイッチを切り替えてあいつに体を明け渡すのとは訳が違う。

 焦りを覚えながら、抗うことも叶わず、カーライルの声も次第に聞き取れなくなり、そのままぱったりと意識を手放す他なかった。