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 エドウィン・ジョーカーという男が、何かと引っかかる発言ばかりしていたために、雑念ばかりがレイドールを支配していた。

 自分が化物だという自覚をしていないと言われた件に関しては、わりと自覚してきているという反論が喉元まで出てきかけた。

 現に、このところ自制が効かなくなっているのは確かだ。思い起こすと、ターゲットを狙う時や警察とやり合う時など、訳もわからないまま、身の内で燃え上がる衝動に突き動かされて自分を失いかけることが多々あった。

 あの衝動に覆われた自分は、エドウィンの言う通り血に飢えた化物そのものだが、もう少しでその正体に辿り着けそうな気がしてならない。そして、辿り着いたが最後、自分は真の怪物に成り果てるのではないかという予感もあり、ぞっとしている。

 それから、もう一つはエドウィンがマンホークの事情を察しているらしいことだ。単純に自分より先に他人が知っているという事実が悔しいというのもあるが、それ以上に先ほどの予感と絡んで、マンホークの秘密を知ることで自分の中に眠る怪物も目覚めるのではないかと思っている。

 目覚めてもらうのは困るのだが、マンホークのことはどうしても知りたかった。自分でも、双子の兄だからといって何もかも知り尽くす必要はないと思うのだが、どうしてかマンホークの全てを自分のものにしないと気が済まずに。

 そこまで考えて、はっと我に返る。双子の兄に対して抱くには、あまりに屈折した感情だった。

「レディ、大丈夫か」

 あまりに考えに沈み込んで暗い表情でもしていたのか、マンホークが心配そうに尋ねてきた。

「平気だ」

首を振ってなんでもないふりをすると、運転席からエドウィンの揶揄うような声が飛んできた。

「おいおい大丈夫なのかよ。今さら怖気づいたとか言わねえよな」

「誰がっ」

「落ち着け。運転手を攻撃したら俺たちの命もない」

「俺が運転してなかったらいいような発言だな」

 マンホークに取り押さえられながら、冷静さを取り戻したレイドールは現状を確認するべく窓の外を流れる景色を眺めた。

 エドウィンの屋敷で話した後、四人でZという男に会いに行くことになったのはいいものの、肝心の男の居所が分からないことを指摘したのだが、エドウィンはあっさりと調べはついていると言ってのけた。なんでも、Zは国にとっても裏社会にとっても要注意人物のため、数年前から常に動向を伺うようにしてきたという。

「奴は気まぐれだからな。気分一つで街を破壊することもあれば、大人しく平和に潜伏し続けてそこらの一般人に完全に馴染んでしまうこともある。そのために、奴は要注意人物である反面、うまく絆せば俺の狙い通りにルエルのようになってくれはしないかと思いはするのだが、これがなかなかうまくいかねえんだな」

「つまり、あんたの狙いはZを更生させることで、今回は俺たちを利用したということか」

「まあ、それも多少はあるが」

 マンホークの言葉にそう返したかと思うと、バックミラー越しに何故かレイドールをちらりと見やった。

「なんだよ」

「いや」

 睨みつけると、エドウィンは視線を逸らし、今度は助手席に座るルエルに目を向けた。無論、運転中のことであるためにそれは一瞬のことだったのだが、自分へ向ける挑発するような視線と違い、何とも言えない複雑そうな目つきだった。それも、先ほどから何度も覗き見ては視線を前に戻す、ということを繰り返しているように思う。

 怪訝に思いながらも、自分の位置からはルエルの表情は窺えないので、どんな視線がやり取りされているかは分からない。何やら彼らも訳ありなんだろうなと思いつつも、なんとなくだが、ろくに知らない人間である自分からしても、彼らの間に流れる空気は濃厚な気がした。

 ふとマンホークはそれに気付いているだろうかと思い、隣の方に視線を転じると、何やら思い悩むような顔つきで宙を睨んでいた。

 それに釣られるようにして、再びマイナスの方へ思考が沈みかけていたが、エドウィンが発した言葉で意識を引き戻された。

「着いたぞ。気を引き締めろ。一つ先に言っておくが、できるだけ気配は消さないようにしろ。奴は気配を殺している相手ほど警戒するからな。それから、極力殺気立ったものを発しないように」

  皆一様に無言で頷くと、車から降りてお化け屋敷のような古い洋館の前に立った。庭の草木は誰の手入れもされていないためか、伸び放題に生い茂っており、本当に人が住んでいるのかと疑うほどだった。

 自然とエドウィンが先頭に立ち、その後に付き従うようにしてルエルが続くと、マンホークとレイドールは彼らの後ろで横に並んだ。

 誰もが一言も言葉を発することなく、しかし緊張感を表に出さないように至って普通に前進した。すると、庭の草木を掻き分けてしばらくするうちにようやく玄関口が見えてきたので、階段を上った後、エドウィンがインターホンではなくノッカーを動かしてドアを叩いた。何故そうしたのかと思ってよく見れば、インターホンは既に粉砕しており、使い物にならなくなっていた。よほど力任せに叩かれたのだと思ったが、洋館を見る限りどこもかしこも古ぼけて痛んでいるようなので、劣化したのかもしれなかった。

 ノッカーを何度か叩いても反応がなかったので、エドウィンは目配せしてドアをこじ開けようとしていたが、案の定鍵が掛かっているようだ。ピッキングで鍵を開けることは容易だが、そこまでしたところで不在であれば意味はない。

 レイドールは裏庭に回って窓から部屋の中を見ようと考え、草木を掻き分けながら移動していると、突然背後から首筋に刃物を押し当てられた。全く気配もしなかったのだが、それは明らかに一緒に来た三人のうちの誰でもない。気配を消さないこと。それが四人ともここに来るまでに決めたルールだからだ。

「何のつもりだ」

 内心、背後の人物が只者ではないことを感じていたので、焦りを感じつつも、辛うじて冷静さを保ちながら尋ねる。

「それはこちらの台詞ですね。君たちは、不法侵入という言葉を知らないのですか?」

 男の声は妙に穏やかで、更に言うならば全く殺気立っていないために、刃物を押し当てられていることに違和感を覚えるほどだった。まさかこの男がZであるはずはないだろうと思っていたのだが。

「久しぶりだな、Z。今日はお前にそいつが用があって来たんだ」

 エドウィンはマンホークがこっちに駆けて行きそうなのを押し止めながら、落ち着き払った様子で背後の男に向かって言った。

「用とは、こういうことですか?」

 Zが僅かに力を込め、首筋に当たっていた刃物が食い込み、血が滲む感触がした。まださほど痛みを感じるほどではないが、それだけでマンホークは焦りを露わにした。

「違う。俺は、俺たちは……」

「おや。そこのあなた、なんだか見覚えがある気がしたのですが、まるで生き写しですね。まるで、そう、あの双子の兄が生きているようです」

「え?」

 レイドールが言葉の意味を掴みかねていると、マンホークは顔色を蒼白にした。一方で、そんな二人の反応に満足したのか、それとも納得したのか、Zはレイドールを開放すると、

「いいでしょう。何の話か大方理解しました。中へ入ってください。しかし、多少埃っぽくても我慢してくださいね」

 と言いながら、誰の反応も待たずにそのまますたすたと歩いて扉を開け、中に入って行ってしまった。

 真っ先に後に続こうとしたのはレイドールだったが、それを制したのはマンホークで、手早く首筋の怪我の具合を見て、ほっと息をついた。どうやら大した傷ではなかったらしい。

 後の二人を見やると、エドウィンもルエルも先に行くように促してきた。彼らは成り行きでついてきたようなものなので、当然と言えば当然の反応だ。

 先ほどのZの台詞の意味を早く知りたくて、先頭に立って中に入って行こうとした時、マンホークが隣に並んだ。見上げると、蒼白になっていたのが嘘のように無表情になっていた。

 洋館の中は外側と同じく古く寂れていたのだが、歩くたびに床が軋む以外は思ったよりも酷い状態ではなかった。Zが言うようにところどころ埃やクモの巣が下がっている部分もあったが、住めないほどではない。最も、好き好んで住もうとは思わないほど暗く気味が悪い内装ではあったが。

「ようこそ。汚い場所ですが、適当に寛いで下さい。何か飲み物でも容易しましょうか?」

 誰なのかも分からない落ちくぼんだ目の年老いた男が描かれた肖像画を眺めていると、広い大広間のような空間で、Zはソファに座ったまま両手を広げた。何かと仕草が芝居がかっており、顔は半分が例のピエロの面で覆われているのだが、物腰は柔らかくとても恐ろしい人物には見えない。それが却って警戒心を抱かせると思うのは、自分だけなのだろうか。

「いや、飲み物はいらない。それよりも、さっきの言葉の意味を教えてほしい」

「そうですね。ですが、その話をする前に、あなたが最も必要としているお話をしましょう。まず、あなたはランドブールがどんな村だったかというのは知っていますか?」

「知っているも何も、そこは俺たちの故郷だが」

「聞き方を変えましょう。その村がどんな村だったが覚えていますか?」

「どんな村って……普通の、どこにでもあるありきたりな……」

 故郷について思いを馳せた時、どうしてか霞がかかったようにはっきりと像を結ぶことができず、

思い出そうとするごとに鈍い頭痛が広がって呻いた。

「レイドール!」

 思わずといった風にマンホークが実名で呼びながら、レイドールの体を支えようとしてくる。それに掴まりながらマンホークの顔を覗き込んだ時だった。

「違う」

 咄嗟に、そんな言葉が口を突いて出ていた。自分の言葉に驚きながらも、頭痛を堪えてマンホークの顔をまじまじと見ているうちに、霧が晴れるようにして過去の情景が浮かび上がってきた。

ランドブール。その村は、レイドールとその兄であるマンホークが産まれた地であり、彼らのような双子が育つには適さない村だった。双子を忌まわしいものとして排除していた時代は、今ではそのほとんどが遠い昔のことだが、周りの進んだ文明に取り残されたランドブールでは、今も尚、村民に根強く残っている因習がある。

 その因習というのが、国も村をないものとして扱いたくなるのも頷けるのだが、魔女狩りも実際に最近まで行っていたと言われており、何よりも総じて皆双子を嫌った。それは双子が単純に気味が悪いと思うだけではなく、村が滅びる凶兆とされているからだ。

 現に、過去に底意地の悪い双子が村を滅ぼそうとしたことがあるという記述も残っており、その記述の真偽はともかくも、双子が産まれれば片方どころか、両方ともに即座に殺してしまうのが決まりだった。

 しかし、その家に産まれた双子のレイドールとマンホークは、幸い双子と言えども全く似ておらず、両親ともに彼らをただの兄弟として育てることに決めたので、産まれてすぐに殺されることはなかった。

 しばらくは平穏な幸せが続き、双子が凶事を招くというのは単なる言い伝えだと、彼ら自身も、また家族も思って安心していたのだが、突然その幸せは終わりを告げる。

 一体どこで彼らの秘密が漏れてしまったのかは分からないが、村人は秘密を知ると、即座にレイドールらを排除しようと動いた。そして。

「そうだ、火。火の中に……」

 レイドールはマンホークとともに逃げ延びようとしたのだが、残してきた両親を気にしたマンホークが自ら村人に捕まり、そして、自分もまた兄の後を追って捕まった。それから、体を縛られて魔女狩りのように火の中に入れられたのだ。

 濁流のように記憶が押し寄せてきて、たった今火の中にいるように全身が熱くなった。

「熱い、熱い、嫌だ、いやだ!」

 悲鳴を上げて逃げまどっているうち、誰かにぶつかって倒れそうになったところを抱き留められた。しかし、それが誰かなどと冷静に考える余裕はない。

「レイドール!しっかりしろ」

 頬を叩かれ、一瞬我に返ると、ようやく抱き留めているのがマンホークだと分かった。マンホーク?いや、違う。これは誰なんだ。

「そうだ。あの時、俺は村人が憎くて堪らなくて、その憎しみで辛うじて意識を保っていられたけれど、マンホークは」

 死んだ?いや、違う。まだあの時は死んでいない。死にかけてはいたが、生死の境を彷徨ったマンホークは、それから気が触れたようにおかしくなって。二人で村から逃げ出して生活しながらも、突然何もない空間を見て笑ったり、昔のように意識をしっかり持ったかと思えば、今度は外からあるものを持って帰るようになった。

「ああ、あああ、そうだ、マンホークは」

 暗闇でぶつぶつと延々と独り言を呟くマンホーク。その手には、白い粉末が握られていた。やめろと何度止めても聞かず、違法薬物で更に身も心もぼろぼろになっていく兄を見ていることしかできなかった。そして、あの日が来てしまった。

 身の内で燃え上がる火は、あの日の業火に焼かれた記憶故なのか、あるいは取り戻した記憶で蘇った憎しみ故なのか。レイドールは一人、その激情に飲まれたまま、目の前ので心配そうに見ている兄に似た男を押しのけ、ソファに腰掛けてこちらを見ているZを睨みつけた。

「お前があの時、マンホークを殺したんだな」

 目で殺せそうなほどの怨念を込めて言うと、Zは平然と返した。

「ええ。そうです。私が殺しました。薬物依存に陥っている危ない輩がいるので、なんとかしてほしいと依頼されましたから」

「てめえ!」

 殴りかかる勢いでZの襟首を締め上げるが、Zは苦しむこともなく、同情めいた瞳で言った。

「彼はもう引き返せない段階まできていました。薬物依存とは言っても、薬を抜くことは不可能ではありません。しかし、彼の場合は薬だけが原因ではなかったようです」

「それは……確かに精神を病んでしまっているようだったが、それも治そうと思えば」

「彼にとっての唯一の光だったはずのあなたでも、彼を正気に戻すことは叶わなかったのでしょう?あなたができないことを、他の誰ができたというのです」

「……」

 思い返せば、病院で診てもらう治療費さえ満足に稼げていなかった。それもマンホークが外で違法薬物を大量に入手するため、多額のお金を放出していたせいでもあったのだ。

 明日食べて行くのもやっとという生活だったが、レイドールはそれでも兄と生きていきたかった。たとえ、兄が死ぬことでしか救われなかったのだとしても、燻った怒りや憎しみは悲しみと比例して留まることを知らない。

 こうなる全ての元凶となったのはあの村人たちだと思い至ると、ようやく正しく憎しみを向けるべき対象を見つけたようにしっくりきた。

「あなたが何を考えているのか分かります。私は敢えて止めたりしませんが、その前に一つだけ言っておきましょう」

 仄暗い憎悪に染まりつつあったレイドールに対し、Zはちらりとマンホークに似た男を見やりながら言った。

「あなたが辛くて堪らないとき、傍にいた相手をお忘れなきよう。何故彼があなたの兄として接していたかは、私にも大方想像がつきます」

 それにしても、本当によく似てますねえと心底感心したように続けた。