取り引き

                    

「おい、聞いたか。6番房の奴、看守とやったらしいぞ」

 昼食時のことだった。ルエルの右隣に座って飯を掻き込んでいた男が、大きな声を張り上げる。

 食事中にする話でもなかろうに、その男の周囲では揃って下品な笑い声が上がった。寧ろルエルのように顔色一つ変えない方が異常だと言わんばかりに。

「おいおい、マジかよ。そいつ死刑日が決まっているんだろう?冥土の土産にってか。俺ならせめて美人なねーちゃんを頼むなあ」

「面さえよければいいってものじゃないけど、やっぱこれだけ野郎だらけの空間にいたら感覚がおかしくなるよな」

「なんだよお前、そっちもいける口か?だったらそこでお綺麗な顔で澄ましている奴なんかどうだ?犯してみろよ。案外どっぷりはまったりしてな」

 男たちの視線がルエルに集中し、役者のような美貌を舐めるように品定めし始めた。

 見張り役の看守に筒抜けだが、規則とやらを破るまでには至っていないらしく、看過されている。それは対象がルエルだからというのもあるのかもしれない。これまでも軽口程度にルエルを晒し者にした輩はいたが、どこまでも相手にしないルエルの様子に興醒めするのが常だったのだ。

 しかし、その日に限ってはいつもと勝手が違った。

「なあ、あんた声が出ないってのは本当か?ベッドの上だとすんなり声が出るんじゃねえの」

「………」

 右隣の男がずいと顔を近付け、安物の煙草と汗の臭いがきつく漂った。

 ルエルが能面のような顔で席を立とうとすると、今度は左隣の男が肩を押さえて強引に座らせる。

「俺たちが治療してやるよ」

 げらげらと男たちが馬鹿笑いを響かせる中、ルエルは冷たい眼差しで薄汚れたテーブルのシミを眺めていた。まるで男たちの存在は、このシミ以下だと無言で告げているようにも見える。

すると男たちは笑いを引っ込めて、ルエルを引っ張り上げて立たせる。

「ちょっとこっち来いや。黙ってろよ」

 男の一人が囁き、馴れ馴れしくルエルの腰に手を回す。それを囲い込むようにして他の男たちも動き出した。

 そこでようやく見張りの看守が声をかけてくる。

「おい、お前たちどこに行く。勝手な行動はするな」

「ちょっとこいつの具合が悪いっていうんで、医務室に連れて行くところですよ」

 ルエルを指さして男の一人がそう言うと、看守は怪訝そうにした。

「それなら大勢で行く必要はない。一人でいい。そうでなければ私が連れて行く」

「へえへえ、分かりましたよ」

 ルエルを支えた男が他の男に目配せすると、舌打ちする音が上がった。しかし渋々引き下がったので、看守も納得したようだ。

 そのままルエルとその男が連れ立って向かったのは、無論医務室などではない。ずらりと並んだ牢屋の先、警備が手薄な場所を探して歩いて行く。

 男はともかく、ルエルは死刑囚なので、行動も大幅に制限されており、実はこうして自由に歩くこと自体が規則に反するのだが、わざわざそれを男に伝える義理もなかった。

 振り解くのも面倒に思ったのか、ルエルが男に腰を掴ませたまま歩いていると、食事から帰って来ていた囚人たちから野次が飛んで来た。どれもこれも似たような類の下卑た言葉で、耳障りな音だったが、ルエルはそれにも何も感じないのか、相変わらず表情を一切変えない。

 そんな中、囚人の一人がルエルたちに向かって歩いてきた。囚人服以外は禁止されているにも関わらず、その人物は頭をすっぽりと覆い隠したフードを被っており、顔が判別できない。

 そして垢にまみれた囚人の中で妙に清潔感の漂う空気があり、それが異様さに磨きをかけていた。ルエルが思わず足を止めると、男もその囚人が気になったのか、文句も言わずに同様に足を止めた。

「あんた、見ない顔だな」

 男がその囚人に話しかけると、囚人は肩を竦めた。

「隠しているから見えないだろうがね。俺の顔が見たいか?たぶん一生悪夢にうなされ続けることを保証するよ」

「冗談はいい。何か用があるんだろう」

 恐らく冗談のつもりではないに違いないが、男が急かすように言うと、囚人は軽い口ぶりで言った。

「お仲間の裏切りは放っておいていいのかな?懲罰房行きになるかもしれないよ。ルニーちゃん」

「その名で呼ぶんじゃねえ!」

「さあさ、行った行った。怒ってる暇があったら、看守様の靴でも舐めてご機嫌取りした方がよほど有意義だよ」

 男は唾を吐きながらも、顔色を悪くして立ち去った。

 後に残されたルエルが黙って囚人を見つめると、囚人はルエルの方に近付いてきて囁いた。

「深夜二時、あんたの独居房で」

 それだけ言うと、囚人は奇妙な動きでゆらゆらと体を動かしながら消えた。その方向を睨みながら、ルエルの表情に初めて意思が生まれた。興味、好奇心といったものだ。

 深夜二時に何かが起こる。それを確信したルエルの足取りは、いつになく軽かった。

 

 

 巡回する看守の足音が定期的に近付いては遠ざかる。

 月明かりに薄ぼんやりと浮かび上がった独房の中で、ルエルは清潔とは言いがたい毛布の臭いを嗅ぎながら、その時を待つ。

 囚人のようなあの人物が、ただの囚人ではないことは明らかだが、一体どうやって夜中にルエルの部屋に侵入するのか見ものだった。罪人として捕らえられて以来、ろくに眠れた試しがないが、今夜は別の意味で目が冴えている。

 看守が何度ルエルの独房を通り過ぎた頃だろうか。看守の交代か、もしくは休憩にでも入ったのか、唐突に静寂が訪れた。

 その時、独房の前に人の気配が立った気がして、目を凝らす。すると、ごく自然に鍵が開いて囚人、いや、看守が入ってきた。

 咄嗟に狸寝入りを決め込むと、看守はルエルの上に覆い被さってきて。

「お迎えに上がりましたよ、ルエル坊っちゃん」

 執事そっくりな声にぎょっとして目を開くと、あの囚人が今度は看守の姿で笑っていた。相変わらず顔は隠したまま。

「なーんてね。迎えというより取り引きと言った方が正しいかな」

「取り引き?」

「そうそう。あ、先に自己紹介を。私は罪人コレクターのAとでも言っておきましょう。アッシュでもアレクでもお好きにお呼びください」

 それは名乗ったことにならないだろうと口にしかけて、ルエルは自分がAにつられて自然と言葉を発していることに気が付いた。本当に口が利けなかったのではなく、そうすれば都合がよかったからということを今更思い出す。

「罪人コレクターとは何だ。こうして罪人と取り引きして脱獄の手引きでもするのか。そして、その後はお前の奴隷といったところか」

「流石。話が早くて助かります。しかし一部訂正させていただくと、私はあくまでも取り引きを行い、集めた罪人を買い手に売り飛ばす役です。奴隷というより、商売道具といった方が正しいですね」

「人身売買、いや、罪人売買か。今更違法行為だ何だと言うつもりはないが、取り引きを持ち出すということは、俺は死刑日が決定したということか」

「ご名答。いやあ、噂では聞いていましたが、実に賢くていらっしゃる。おかげで手間が省けました。それで、いかがなさいますか?ちなみに明日、看守があなたに死刑執行日を伝えに来るみたいです。精々一週間くらいは猶予があるかもしれませんが」

 つまりは、死ぬか誰かに飼われて生き地獄を味わってでも生き延びるかという究極の二択だということだ。普通の感覚であれば、生きるためなら喜んでと言うところだろうが、大してこの命に執着していないルエルは言った。

「面白い。死ぬ前にどんな地獄が味わえるか楽しみだ。その話、乗った」

 賭け事を楽しむギャンブラーのように笑うルエルは、早速Aと脱獄の計画を話し合った。計画というよりも、予定といった方が正しいのかもしれないが。

 そして夜が明ける前に難なく牢を脱したルエルは、Aの所有する別の地下牢に移された。結局待遇は同じだが、あくまでも逃げ出さないようにするためであり、命の保証はされているだけましだと言えた。

 果たして本当にましかどうかはともかく、その牢で鎖に繋がれたまま、数年が過ぎた。

 

 

紅い瞳