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 咲子は学校から帰宅すると、日課である動画を閲覧していた。音楽鑑賞も欠かせない趣味の一つだ。映像を食い入るように眺め、一音も聞きのがすまいとしていると、携帯が鳴り出した。
 その相手を一目確認すると、飛びかからんばかりの勢いで携帯を操作し、電話に出る。
「晶?どうしたの」
「もしもし、咲子か。お前、俺のシャープペンシル知らないか」
「ああ、あのお気に入りのやつ?どうかな。もしかして私のペンケースに紛れてるかもしれないから、探しておくよ」
「そうしてくれると助かる。なんか最近、物がなくなりやすいんだよな」
 晶が溜息交じりに呟くのを聞いて、咲子はそういえばと切り出した。
「私の携帯ストラップもなくなったんだよね。あと、ブレスレットも」
「なんだ、お前もか。俺たち、うっかりしているところもなんか似てるんだな」
 晶の笑い声が耳に心地よく響く。それに密かに笑みを溢しながら、咲子は言った。
「私のはどれも安物だからいいんだけど、そのうち高価なものを取られないかちょっと心配ね」
「そうだな。まあ俺も、今のところは替えが効くものだからいいけど。もし高いものが無くなった時は盗難届でも出そうか」
「ええ、そうね。その方がいいわ。そうならないためにも、極力安物を身に着けていた方がいいわね。私も、晶も」
 二人して、とても物を失くしたとは思えないほど穏やかに話し、笑い合う。そして、そのままの空気で電話を終えた。
 咲子は携帯を机に置くと、動画を見る傍ら、自分のペンケースを漁り、中身を確認した。ころりと転がったのは、何の変哲もないシャープペンシル一本だ。
 それを大層大事そうに手に取り、手のひらで弄びながら、動画に映った存在に見入っていた。


 午前中の講義を終えたところでスケジュールをチェックし、午後は何もないことを確認して席を立つ。写真サークルはそれほど活動的でもなく、活動があれば連絡は常に晶から来るのだが、今日はそれもなかった。
 晶の講義は、自分のものよりも一言一句しっかりと記憶していて、今日は午後に一コマだったはずだ。
 そのおかげか、晶と常にべったりな咲子は不本意ながら一人で大学に通い、半日を過ごす羽目になった。晶の講義が終わるまでどこかで待ち伏せするのはいつものことだが、今日はそれをするよりも確かめたいことがある。
 晶の行動パターンの予測はついていて、あとは実行するだけだ。
 咲子は講義室を出て、廊下を歩きながら音楽プレイヤーとイヤホンを取り出す。音楽に急かされるようにして先を急いでいると、前方から来る人物に気が付かなかった。
 そして勢いよくぶつかってしまいかけ、すれすれの距離で相手が止まる。咲子は相手の顔も確認せずに、頭を下げて立ち去ろうとした。
「咲子さん!ストップ」
 音楽を遮るほどの音量で制止の声を上げたかと思うと、その人物は咲子の目の前に回り込んできた。その上無遠慮に距離を詰められて、顔を覗き込んでこられたので、仰け反った。
「何?私、ちょっと急いでるんだけど」
 相手は同じ写真サークルの鍵谷だ。一見すると人懐こい愛嬌のある顔立ちをしているのだが、皆それに騙されているのではないかと疑う気持ちがある。
 その理由の一つとして、咲子にまとわりついてくるということが挙げられる。もっと言えば、この距離の近さだろうか。笑顔で懐柔して、人のパーソナルスペースにずかずかと踏み込んでくるので、どうにも苦手意識がある。
 そして鍵谷を苦手に思いながらも、腹立たしいことに無下にはできないのだ。
「この後講義はないんですか?」
「ないけど……それが?」
 嫌な予感がしながらも馬鹿正直に答えると、鍵谷は分かりやすく上機嫌になった。
「じゃあ、この後ちょっと街にでも……」
 その時、不意に片耳だけつけていたイヤホンから流れる音楽に雑音が混じった。リズミカルに刻まれる音色に合わせて、咲子は自分の鼓動が高鳴るのを感じる。
 そして。咲子は咄嗟にプレイヤーを切り、素早くバッグに仕舞い込んだ。
「咲子!」
 同時に、息を切らしながら現れる恋人の姿に笑みを浮かべた。
「え?何このタイミング。俺運なさすぎだろ」
「じゃあ、そういうことだから。またね」
 一人困惑している鍵谷を置いて、咲子は大きく前に踏み出した。そして人目も憚らず、迷いなく晶の体に抱きつくと、晶は息を乱しながら受け止め、笑う気配がした。
「俺、今から講義だけど、待てるか?」
「うん。それなら、いつもの場所で待ってる」
 咲子は笑顔で答えながら、内心で嘆息する。まだチャンスはあるのだから、焦る必要はないよねと言い聞かせて。
 周りから野次が飛ぶ中、晶が咲子を抱き締める腕に力が籠り、その瞳が鋭い色を灯したことに咲子は気付かなかった。
 
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