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  早朝、ノストワールの首都であるサルマ地方にて、銃撃戦が繰り広げられていた。住民は避難勧告を出される間もなく突然起こった銃弾の嵐に、不平不満を上げる余裕もなく阿鼻叫喚に逃げ惑っている。

 それを引き起こしたのは、警察と彼等に追われた二人の男たちである。通常であれば警察は近隣の住民の安全を第一に考えるのだが、今回に限っては例外だった。上層部からの指示により、最も危険な犯罪者として、多少の被害を出そうとも何としてでも捕らえるようにと言われている。 

 男たちは多くの警官から追われながらも、余裕でその攻撃をかわし続け、その身にかすり傷一つ追わないまま速度を落とさずに疾走している。警察の方は彼等を生きて捕らえるように言われているためか、本気で殺しにかかることができないことが仇となり、二人の返り討ちに遭って次々と勢力を削がれていた。

 ガタイが良く大柄な方の男は、体格に似合わず俊敏に動き、狙撃を得意とするようで、どんなに遠く離れていても狙いを外すことはない。

 一方で細身の男も同様に俊敏だが、何よりも狙撃とナイフを状況に合わせて使い分けるので、次にどんな攻撃を仕掛けるのか読み難い動きをしていた。

 伊達に半年の間警察の手を掻い潜ってきたわけではない二人は、あっという間に片っ端から追手を戦闘不能にした。そして、サングラスをかけて目を隠し、黒いコートを羽織ると、何事もなかったように雑踏に紛れた。

「マン、ちょっと腕が落ちたんじゃないか?」

 細身の男が自分より背の高い男に声をかけると、呼ばれた方は肩をすくめた。「マン」(男)というのは、背の高い男のコードネームのようなものだが、実際は昔からの彼の愛称でもある。男らしい肉体に相応しい呼び名だ。

「レディ、お前も無駄に血を流し過ぎではないか?」

 一方で細身の男は「レディ」(女)のコードネームに相応しく、しなやかな体つきと女に負けず劣らず目を見張るほどの美貌を兼ね備えている。元々は幼少期に弟のレイドールがレディと呼ばれて周囲に揶揄われるのを見兼ねた兄のマンホークが、自身の名をわざとマンとして広めたのが始まりだった。

 そして、マンことマンホークの言う「血を流し過ぎ」というのは、レディことレイドールから流れた血ではなく、彼によって痛めつけられた周りが流した血のことである。マンホークの言う通りに、事実、遠距離からでも勝てるものをレイドールはわざわざ近接戦に持ち込んで、ご丁寧に血を浴びてばかりいた。そのせいか、コートの下に着た衣服は返り血で濡れていたのだが、レイドールは平然と言い放つ。

「これくらい別に普通だろ」

 しかし、その瞳が獰猛な殺気に満ちていることはマンホークも見逃さなかったし、レイドールもまた内から沸き起こる底なしの闇のような衝動を抑えるのに必死だった。

 闇?いや違うな。と、レイドールは一人、不快気に顔を顰めるも、その実は言いようのない不安があった。

 炎が身の内で燃え上がり、その奥から得体の知れない何かが今にも剥き出しにされそうな予感。そして、それは同時にレイドールを急くように、早く早くと呼びかけてくる気がしてならない。

「レイ……レディ!」

 大声で名前を呼ばれるとともに、腕を強く引かれて我に返ると、目と鼻の先を大型トラックが横切って行った。暴れる鼓動は驚いたせいなのはもちろんあるのだが、それ以上に理由も分からない恐怖から来ている。

 無意識に寒さを堪えるように両腕を擦っていると、幽かにマンホークの手が頭に置かれるのを感じた。まるで慰めるように触れてきたその手に、安堵とは別に困惑が生じる。それが何故なのか解することもできないまま、逃げるようにその手を振り払っていた。

「腹減ったな。腹ごしらえしたら、またひと仕事しようか」

 大股に横断歩道を渡りながら、振り返りもせずにマンホークへ声をかける。彼がどんな顔をしてついてきているかなどと無駄な思考に終止符を打ち、即座に頭の中を切り替えてこれからのことを考え始めていた。

 それを知ってか知らずか、マンホークはレイドールの横に並ばずに後ろから付き従うようにしながら、ぼそりと言った。

「肉……」

 自分には血がどうのこうの言うくせに、戦った直後に肉と平気で言うマンホークも大概だ。

「はいはい、肉な。お前は安い肉も美味そうに食べるから安上がりで助かるよ」

 笑いながら振り返ると、マンホークの肩に黒い塊が乗っていた。何かと思い目を凝らすまでもなく、その黒い物体は烏だと分かったのだが、偶然乗ったのではなく、マンホークが手懐けている印象を受けた。

 その証拠に、烏はマンホークに甘えるように頬ずりをした。

「お前、いつの間にそんなの飼ったんだ」

 レイドールが驚いて言うと、烏は声に反応してすぐに飛び立って行った。それを目で追った後、マンホークに視線を戻すと、彼はレイドールから視線を逸らしながら、前方の軽食屋を指し示した。

「あそこで食べよう」

 そして、レイドールの返事も待たずに、いかにも年季の入った経営状況の怪しい廃れた店にずんずん向かって行った。今の懐事情を考えれば妥当な店で、レイドールも文句はない。ないのだが、それを追いかけて後に続きながらも、先ほどの烏のことが頭を離れなかった。