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 柳沢晶を初めて目にした時のことは鮮明に思い出せる。あれは大学に入学して間もない頃だった。陳腐な表現になるが、その瞬間彼以外のものは全て無意味なモノクロームに成り変わった。それほど容姿が際立っていたわけではない。むしろ平均よりややいい程度の十人並みなのだが、咲子には彼よりも素晴らしいものはこの世に存在しないと根拠もなく確信できた。
 咲子があまりに不躾に凝視していたせいだろうが、晶は写真サークルの勧誘を止めてこちらを見返した。その瞬間、初対面にしては長すぎるほど見つめあったかに思われたが、実際にはたった数秒か数瞬だったのかもしれない。
 晶は咲子を不審そうに見ることもなく、自然に話しかけてきた。写真、興味ないですかと。その低く落ち着いた声にますます惹かれる思いがして、迷いなく返した。入ってみたいです。
 それを聞き、晶は輝くような笑顔を浮かべた瞬間を写真に残さなかったことを、後からどれだけ悔やんだことか。
 しかし、それも無理はなかった。誰だって好みの異性にそんな笑顔を向けられれば、他のことは何も考えられなくなるに違いない。そして咲子の場合はあからさまに動揺し、その時持っていたバッグやら押し付けられたサークルのチラシやらを全て取り落としてしまった。
 羞恥を堪えながら慌てて拾い集めていると、晶はからかうでも呆れるでもなく、てきぱきと拾うのを手伝い、渡してくれた。そのスマートさにますます惹かれてしまったせいか、勢いあまってこう言っていた。
「あの、恋人はいますか」
「え?」
 名前を紹介し合う前に飛び出した直球の質問に、流石の晶も驚いたのか、ぽかんと口を開ける。その間が抜けた表情にさえ咲子は胸を鷲掴みにされるだから、末期だ。
「ご、ごめんなさい。いきなりで失礼でしたよね」
 我に返って逃げるように踵を返しかけたのだが。
「待って」
 予想外に強い声で呼び止めたかと思うと、晶は真顔で咲子の発言を飛び越えたことをするりと口にした。
「恋人はいません。あなたに一目惚れしました。付き合ってくれませんか」
「は、はい……」
 勢いに呑まれて、首降り人形のようにこくこくと頷くと、花が咲いたように微笑まれた。初対面で、まさかの両想いとなり、そして驚異的な速さでめでたく恋人になった咲子と晶は、その一部始終を繰り広げた場所が場所なだけに学内で有名なカップルとなったのだ。
 滑り出しは好調、そして体の相性も抜群だった二人は、一見すると何一つ問題のない恋人同士だ。しかし、物事には表があれば、裏もある。咲子には最愛の恋人にも言えない秘密があり、それは二人の関係を壊しかねない危険を孕んでいた。

 

 

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